青森山田学園

~意識改革!原点に立ち返って祭りを楽しむ~

【2019年の見どころ】

  今年で40回目の出陣となる青森山田学園の題材は「船の草摺引」。曽我物語から始まる和田酒盛の場面である。兄の曽我十郎祐成を助けに行こうと逸る弟の曽我五郎時宗を、後見人の朝比奈三郎が草摺をつかんで引き止めている場面だ。時宗が一向に動く様子がなかったためさらに大力の朝比奈が草摺を引いたところ、船が壊れてしまったという。制作者の北村隆氏は原点に立ち返りたいと考え、この題材を選んだ。この題材は北村隆、明兄弟のデビュー作なのである。誰が作っても同じ構図になってしまいがちな題材を、さらに発展させた。迫力あるねぶたに、ぜひ注目してほしい。

青森山田学園は昨年、開学100周年を迎えた。「100周年だからこそ」という思いが強く、ピリピリした空気と緊張感があったように感じる。果たして楽しめたのだろうか。反省を踏まえて本年は意識改革を図る。原点に立ち返り「祭りを楽しむこと」を第一に、一致団結した運行を目指す。

 

 【運行団体について】

  1971年、青森大学開学3年目に初の出陣を飾る。当時の最大の後援者であった青森県信用組合が当時の理事長木村正枝氏に働きかけたのがきっかけである。当時はまだ経営学部のみで、学生数も120130人。当時ねぶた責任者であった斎藤守太教授を先頭に、大学全体で参加した。当時は、現在のように青森山田学園ではなく青森大学として運行。また、先頭の役員団の前に青森山田高校のブラスバンドが演奏しており、「学生らしいねぶた運行」が行われていた。

  その後1989年(平成元年)より毎年出陣しており、最初に賞(田村麿賞)をとったのが1994年の『宇治川の先陣争い』。制作者は北村隆氏である。この年は跳人賞も獲得しダブル受賞であった。制作者の北村隆氏は平成2年から現在に至るまで青森山田学園のねぶた制作を受け持っている。その間、田村麿賞、ねぶた大賞受賞歴は6回。特に平成181920年と三年連続でねぶた大賞を受賞し、青森山田学園のねぶたの全盛期を作った。北村氏の第6代ねぶた名人への道のりは山田のねぶたにあるといっても過言ではないだろう。

  青森山田学園として出陣するようになったのは2003年(平成15年)から。そこから「学園ねぶた」の愛称で出陣し続けている。OBそして学園関係者の力が「学園ねぶた」の源だ。なおメインスポンサーは日本航空である。日本航空が経営破綻した際、スポンサードできないという話になったが、当時の理事長が無料で日本航空の看板を掲げることを決断。以後2年間無料で看板を載せたエピソードがある。そういった付き合いから現在も日本航空がメインスポンサーとして運行している。

 

【運行について】

 なんといっても学生生徒中心の元気ある跳人が魅力。曳き手は主に部活(野球部・剣道部)の学生である。そこに教職員・OBが加わって運行される。跳人は一時関係者のみの時期もあったが、現在は広く、一般からも参加可能となっている。囃子はOB中心の隆櫻會。會の名称は、受賞全盛期に理事長であった故「北村隆文」氏と現制作者「北村隆」氏の「隆」、学園のトレードマークの「桜」からとっている。青森市の教育機関としては唯一単独で大型ねぶたを運行しており、青森山田学園から輩出される全国的にも有名なスポーツ選手の活躍が、毎年運行に花をそえている。

文責:松橋美幸

写真:2018年 青森山田学園 「竜飛の黒神 男鹿の赤神」 制作者:北村 隆