青森山田学園

~開学100周年!ねぶたを通じた教育を継承。学園が一致団結して出陣します。~

【今年のみどころ】

  今年はなんといっても、開学100周年を迎える節目の年。山田学園の関係者が一致団結して、運行を行う予定。ねぶた出陣はそもそも、ねぶた制作に限らず、台車づくり、跳人、囃子の参加、それを支える炊き出し部隊など様々な役割がある。そのほとんどすべてを教職員、学生など学園関係者で準備し出陣させる。今年は特にその点にこだわり、「ねぶた参加を通じた教育効果」を意識しつつ一致団結した運行をめざす。

 ねぶた本体は北村隆氏の「竜飛の黒神 男鹿の赤神」。100周年記念で特に青森にゆかりのある題材を依頼して作制を依頼した。黒神と赤神の闘いは黒神の軍配があがるものの、その発端となった十和田の女神は赤神についてしまう。これらのエピソードには、日本でも有数のスポーツエリートが集まる山田学園の選手たちに、勝ち負けのだけでなく勝負にいたる過程の重要さも伝えたいという関係者の想いがある。

 その他前ねぶたはファイナル・ファンタジー、ドラゴンクエストなどを輩出するゲームメーカーのSQUARE ENIXが2台ほど参加する。いなば食品も含めた計3台の前ねぶたも100周年に花を添える。また運行にも工夫をこらし、囃子方をねぶたの前に配置し、跳人と囃子の一体感を目指す。役員団も自由に動きねぶたを盛り上げる予定である。半纏も新調し、山田カラーの緑を中心することが決まっている。

 今年の学園ねぶたは様々な点で工夫がこらされており、参加者のモチベーションも高い。注目の団体の一つだといえる。

 

 

 【歴史】

  1971年、青森大学開学3年目に初の出陣を飾る。当時の最大の後継者であった青森信用組合が当時の理事長木村正枝氏に働きかけたのがきっかである。当時はまだ経営学部してかなく、学生数も120130人。当時ねぶたの責任者であった斎藤守太教授を先頭に大学全体で参加したのがスタートである。当時は各年で出陣しており、現在のように山田学園ではなく、青森大学として運行。また、当初は先頭の役員団の前に山田高校のブラスバンドが演奏しており、「学生らしいねぶた運行」が行われていた。

 その後1989年(平成元年)より毎年出陣しており、最初に賞(田村麻呂賞)をとったのが1994年の『宇治川の先陣争い』。制作者は北村隆氏である。この年は跳人賞も獲得しダブル受賞であった。制作者の北村隆氏は平成元年が現在に至るまで山田学園のねぶた制作を受け持っている。その間受賞歴は6回。特に平成181920年と三年連続でねぶた大賞を受賞し、山田学園のねぶたの全盛期を作った。北村氏の名人への道のりは山田学園のねぶたにあるといっても過言ではないだろう。現在も制作者は北村隆氏である。

 山田学園として出陣するようになったのは2003年(平成15年)から。そこから「学園ねぶた」の愛称で出陣し続けている。2017年で47年間、38回目の出陣となる歴史のある団体といえる。来年開学100周年を迎える学園の卒業生はおおよそ4万人を数えるという。このOBそして学園関係者の力が「学園ねぶた」の源といえるだろう。なおメインのスポンサーはJALである。JALが経営破綻した際、スポンサーができないという話になったが、当時の理事長が無料でJALの看板を掲げることを決断。以後2年間無料で看板を載せたエピソードがある。そういった付き合いから現在もJALがメインスポンサーとして運行している。その他青森ダイハツがスポンサーである。

 

【運行】

  なんといっても学生中心の元気のある跳人が魅力。曳き手は主に部活(野球部)の学生である。高校生、大学生が中心であり、そこにOBが加わって運行される。跳人は一時関係者のみの時期もあったが、現在は一般から広く参加も可能となっている。囃子はOB中心の隆櫻會。隆は制作者北村隆氏の「隆」、櫻は学園のトレードマークの「桜」からとっている。青森市の教育機関としては唯一単独で運行をしており、山田学園から輩出される、全国的にも有名なスポーツ選手の活躍が毎年運行に花をそえている。

文責:佐々木てる

写真:2017年 青森山田学園 「金神長五郎 仁王と相撲をとる」 制作者:北村 隆