消防団第二分団ねぶた会・アサヒビール

~『燃える』 迫力満点の運行を~

【2023年の見どころ】

 今年の題材は、『田村麿 大獄丸を討つ』である。

 伊勢国鈴鹿山に棲む鬼神・大嶽丸が暴威を振るう為、一帯は全く人通りがなく、宮中への貢ぎ物も途絶えた。

 事態を重く見た朝廷は、坂上田村麿に大嶽丸討伐の勅命を下した。田村麿は、三万の大軍を率いて鈴鹿山に向った。妖術にたけた大嶽丸は、暴風雨を起こし雷鳴を轟かせ峰全体を巨大な黒雲で覆った。更に討伐軍めがけ空から火の雨を降らせた。なす術がなく田村麿は撤退した。神仏の加護を受けるより道はないと日夜一心に祈願を続けた。

 ある夜、ひとりの白髪の老人が、夢枕に立って、「大嶽丸を討つのは、容易な業ではない。討伐を望むならば、この山中に棲む、鈴鹿御前の協力を得ることだ」とつげた。

 後日、険しい道を分け入ると、突然どこからか美しい女が姿を現した。この美女こそ鈴鹿御前であった。

 ある夜、童子に姿を変えた大嶽丸が鈴鹿御前のもとに忍んで来た。田村麿は大嶽丸の宝剣二本を奪って迎え撃った。だまされたと気付いた大嶽丸は激怒して口から炎を吐きながら剣や鉾を雨のように降らした。そこに毘沙門天と千手観音が現れ襲いかかる剣や鉾をことごとく払い落した。田村麿が一心に祈願して矢を放つと、数千に分かれて鬼神の顔面に突き刺さった。無事、大嶽丸を討ちとり平和な世の中が戻ったという。

 この物語から、平穏な世界が訪れることを心より願うという意味が込められている。全体的に赤を強調しており、炎が『燃える』様子を表現している。

 また、制作者は今年から内山龍星さんに変更となった。

 昨年も参加したかったが、スタッフの家族や関係者への感染を考慮して参加できなかったため、2019年以来、4年ぶりの参加となる今年にその悔しい思いをぶつけて、全力で盛り上がりたい、楽しみたいと思っている。

 

【運行団体の歴史】

 消防団第二分団ねぶた会・アサヒビールの歴史は長く、今年で71回目の出陣となる。『青森ねぶた誌』を紐解けば、1952(昭和27)年に青森消防第二分団三班がはじめて登場しているが、1955年の記載では、7回目の出陣となっている。歴史的には青森ねぶたはもともと地元の消防団や港町の関係者がねぶたを出陣させていた。そのため、に組・東芝(71回目出陣)とならび消防団としてはその伝統を受け継いでいる団体といえるだろう。アサヒビールがスポンサーになったのは1990年(平成2年)からである。その他ヤマモト食品、スバル自動車、マツダ自動車などもスポンサーについたことがある。

 ただし消防団は地元の区域が中心であり、青森市の中心街、安方、新町、古川付近が第二分団の区域である。そのため協賛の依頼に毎年商店街に足を運んでいる。消防団の団員は50名であり、現在も活動している。

 

【運行について】

 団員が中心となって運行を支えている。

 大人らしく迫力のあるのが消防第二分団の運行の特徴であり、中でも、運行を盛り上げるかけ声台車は、どの団体にも負けず、立派である。

 今年はマツダアンフィニグループも運行の協力をする。

 曳き手は青森中央高校の学生のアルバイトで行われている。

 運行日程はこれまでは8月3日~6日の4日間であったが、今年からそれに加えて7日の昼も運行となる。

 跳人は例年約200~300人で、地元の事業者や青森中央学院大学をはじめとする学生、スポンサー関係の方々など幅広く参加している。8月3日は青森板金が運行しないため、ライダーズが跳人として飛び入り参加することがあるという。

 囃子は、龍鼓会が担当している。龍鼓会は、第5代ねぶた名人千葉作龍先生のねぶたのもと、大太鼓を鳴らしきるという思いから命名された。演奏は、消防団第二分団の囃子方なので「格好よく」をコンセプトに、自分がかっこいいと思う囃子をやり、その上で全体が合うように統一することを目指している。また、自分だけでなく周りも楽しくさせる人、即ち囃す人という「本物の囃子方」が今、そして未来に残るよう努めている。龍鼓会は現在約100人程の会員で構成されている。

 また、今年から運行スタッフの半纏衣装の色を漂白あるいは染色される前の素材そのものの色である「きなり色(生成色)」に変更した。

 

【制作について】

 1982(昭和57)年から千葉作龍氏がねぶたを手掛け、以後34年間制作を続けてきたが、2017年、孫弟子である立田龍宝氏に、そして、今年、千葉作龍氏の弟子である内山龍星氏へと千葉流の伝統が続いている。

 ねぶたの題材は制作者である内山龍星氏に一任されている。

 前ねぶたは、協賛であるアサヒビール、日清食品、日本電気(NEC)が出陣する。

また、照明は、以前は電球が多かったが、今年からほとんどをLEDに変更し、より見映えが良いものとなった。

 

文責:熊地勇樹

 

写真:消防二分団ねぶた会・アサヒビール 『田村麿 大獄丸を討つ』 制作者:内山龍星